沿革
理工展と理工展連絡会の歴史についてご紹介します。
年 | 回 | テーマ |
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1909 | ||
備考:「第1回理工科展示会」開催(理工展の前身) | ||
1948 | ||
備考:理工学部の催し復活&理工展と呼ばれるようになる(理工展の起源) | ||
1954 | 第1回 | |
備考:早稲田祭に理工学部の出し物として参加(この年から毎年開催になる) | ||
1959 | 第6回 | |
備考:学友会(理工学部学友会)が理工展を主催 | ||
1961 | 第8回 | 今日もたらされた科学技術 |
1962 | 第9回 | 科学技術と人間社会 |
1963 | 第10回 | 科学技術と人間社会 |
1964 | 第11回 | 現代に生きる科学技術 |
1965 | 第12回 | 戦争災害と科学技術 |
1966 | 第13回 | 岐路に立つ科学技術 |
1967 | 第14回 | 変動する日本産業構造 |
1968 | 第15回 | 見よ!科学技術至上の醜悪さを! |
1969 | 第16回 | (中止) |
備考:学友会の混乱崩壊により中止 | ||
1970 | 第17回 | (中止) |
備考:学友会の混乱崩壊により中止 | ||
1971 | 第18回 | 理工に創造の息吹を! |
1972 | 第19回 | |
1973 | 第20回 | (中止) |
備考:理工展中止の代わりに学科展を開催 | ||
1974 | 第21回 | |
備考:理工展連絡会結成 | ||
1983 | 第30回 | |
1993 | 第40回 | |
2003 | 第50回 | |
2006 | 第53回 | |
備考:来場者数1万人突破 | ||
2009 | 第56回 | リコウにエコろう♪ |
2010 | 第57回 | 理工のチカラ∞ |
備考:中庭実験教室 | ||
2011 | 第58回 | 理工の壁を打ち破れ |
2012 | 第59回 | サイエンスの一歩先へ |
備考:理工キッザニア開催/りこ×たて開催 | ||
2013 | 第60回 | 時代を越えろ。 |
備考:理工展アプリ配信開始 | ||
2014 | 第61回 | 理工×虹~理工に虹をかける~ |
備考:第1回ロボットフェスティバル/矢口くんグッズ販売開始 | ||
2015 | 第62回 | 広がれ!理工の環 |
備考:La PomPon出演 | ||
2016 | 第63回 | ミチを照らす学園祭 |
2017 | 第64回 | Universe |
2018 | 第65回 | 科学が織りなす物語 |
備考:color-code出演 | ||
2019 | 第66回 | PIECE PEACE |
備考:早稲田祭×理工展コラボ(2祭合同クイズラリー) | ||
2020 | 第67回 | マジックアワー |
備考:コロナウイルス感染拡大により完全オンライン開催 | ||
2021 | 第68回 | Bon Voyage |
備考:対面・オンラインのハイブリット開催/ジェラードン出演 | ||
2022 | 第69回 | Bloom |
備考:ポケモンユナイト大学祭/矢上祭×理工展コラボ | ||
2023 | 第70回 | Spark |
備考:ヨビノリたくみ講演 | ||
2024 | 第71回 | PRISM |
備考:第1回E-sports大会/理工展×万博企画 | ||
2025 | 第72回 | GEAR |
理工展の歴史
| History of Rikoten |
理工展の歴史を語るには、1908年(明治41年)、早稲田大学に理工科が開設された時までさかのぼる必要があります。
翌1909年(明治42年)、機械・電気の両学科本科の授業が始まった年に、現在の理工展の前身にあたる展示会が、理工科のデモンストレーションを兼ねて開催されました。
その後、施設公開や研究発表を目的とする展示会は、早稲田大学の大きな行事に合わせて開催されるようになります。
理工学部に残る史料によると、1913年(大正2年)には「理工科製作展覧会」が開催されたと記録されています。
昭和時代に入るころから、これらの展示会は学部行事として定着し、ほぼ3年ごとに「理工学祭」という名称で開催されるようになりました。
例えば、1935年(昭和10年)の理工学祭では、「採鉱冶金学科(現・環境資源工学科)の穿岩機の実演」「電気工学科(現・電気・情報生命工学科)によるテレビジョン、電送写真の公開実験」「応用化学科の人造石油」「建築学科による大隈講堂の音響模型」など、数多くの展示発表が行われ、非常に好評だったと伝えられています。
しかしその後、日本は戦争への道を歩み始め、残念ながら理工学祭も中断を余儀なくされました。
第二次世界大戦終結後間もない1948年(昭和23年)、理工学部の催しは復活し、この時から「理工展」と呼ばれるようになりました。
1951年(昭和26年)の第2回理工展は、早くも戦前の規模を上回る盛大なものとなり、実物のジェットエンジンや、当時日本に数台しかなかった電子顕微鏡などが展示されました。
昭和30年代に入ると、理工展は隔年開催から毎年開催へと移行し、1959年(昭和34年)からは理工学部学友会が主催する形式となりました。
さらに1961年(昭和36年)からは、「統一理工展」として、1954年(昭和29年)に始まった早稲田祭にも参加するようになりました。
その後、学友会のもとで1968年(昭和43年)まで毎年開催が続きましたが、学友会の混乱・崩壊により、一時中止を余儀なくされます。
その間、学科単位での研究発表会などが断続的に行われましたが、1974年(昭和49年)、機友会の呼びかけにより、各学会を中心とした「理工展連絡会」が結成され、早稲田祭と同時期に「理工展」が再び正式に開催されるようになりました。
※1974年 第21回理工展パンフレットの内容を一部修正しています。
理工展連絡会の歴史
| History of Circle |
西早稲田キャンパス内で、オレンジ色の法被を着た学生たちを見かけたことはありませんか?
彼らこそ、理工展連絡会のメンバーです。近年では3学年あわせて約400人が所属する、キャンパス最大級のサークルに成長しました。今ではシンボルにもなっているオレンジ色の法被は、2013年(60期)の代で初めてデザイン・制作されたものです。
そんな理工展連絡会も、初めからこれほど大きな組織だったわけではありません。
その歴史は、1974年の第21回理工展の開催にさかのぼります。機友会の呼びかけで、各学会を中心に理工展連絡会が結成されました。当時は各学科に数人ずつ「クラス委員」という役職があり、立候補によって選ばれていました。理工展連絡会はそのクラス委員の一部から成り、現在のような学生主体のサークルではなく、大学組織の一部という性格が強かったと伝えられています。
その後、2003年の第50回理工展ごろから、現在のような学生主体のサークル活動として形を整えはじめます。50期理工展連絡会は「総務局」「財務局」「広報局」「企画局」の4局体制で運営され、当時のメンバー数はおよそ30人ほどでした。この時期から徐々に組織は拡大し、2010にはメンバー数が100人を超える大規模サークルへと成長しました。
2012年(59期)には理工展公式SNSアカウントが開設され、翌2013年(60期)には理工展マスコットキャラクターの広報を目的として「矢口くん開発室」が設立されます。
2020年(67期)には、広報局内の編集班が独立し「情報局」が新設されました。同時に、国際化推進室も立ち上がり、パンフレットの翻訳作業など国際化対応にも力を入れるようになりました。
2022年(69期)には、矢口くんの妹にあたる初代VTuber「矢口つむぎ」が登場し、理工展の新たな広報活動の一翼を担うことになります。その後、代替わりを経て、2025年(72期)現在は2代目矢口ちゃん「矢口かえで」がVTuberとして活動中です。
さらに今年度は「ラジオ推進室」と「SNS推進室」が新たに発足し、理工展の広報活動はますます広がりを見せています。
新入生歓迎パンフレットWelcome
| Welcome Pamphlet |
大学1年生のとき、学生証配布時にもらったB5サイズのパンフレット「Welcome」を覚えていますか?
実はこのパンフレット、理工展連絡会が製作・発行しているものなんです。実験に役立つ情報やイベント紹介などが掲載された、新入生必携のこの冊子には、実は約50年にわたる歴史があります。
この冊子が初めて登場したのは1975年(22期)、理工展連絡会結成の翌年のこと。最初は手書きの紙をまとめた、まさに手作りの冊子でした。
そして2年後の1977年(24期)には、「新入生歓迎パンフレット理工1号」として正式に理工学部の承認の下、製本版が新入生向けに配布されるようになりました。当時の内容には、各学科の詳細な紹介、大学構内の案内、サークル情報などが盛り込まれていました。
この時期、冊子の発行を取りまとめていたのは理工展連絡会ではなく、大学組織の一部であるサークル協議会でした。理工展連絡会はその協力団体のひとつとして制作に携わっていた形です。
その後、時代に合わせて内容を更新しながら発行が続けられ、2007年(54期)からは理工展連絡会が単独で製作・発行を担当するようになりました。
現在も、大学公式の許可を得て、新入生向け情報誌として「Welcome」が配布されています。